兄の習っているピアノ教室に、3年代から私も通いだ

兄の習っているピアノ教室に、3年代から私も通いだしました。
習い始めが早かったおかげで、いわゆる「必要音感」が私につき、幼稚園で歌った曲を楽譜を見ずにピアノで弾くことができたので、教員や周りの人から「異才」だと呼ばれていました。

ゆっくり周りの念願が高まり、小学生1年生から音大yesのレッスンに通い、本格的なピアノの英才レクチャーが始まりました。
だが、近所では異才だったものの、周りには皆さんによってピアノの上手な人たちがいっぱいいて、コンプレックスに苛まれる連日。
ガンガン自尊心を被害していき、ピアノを弾くことが嫌いになり、「弾かされている」と感じるように。

中学校になった時、指を外傷したらピアノを弾かなくて済むと思い、バレーボール部に入部。
レッスンも勝手にサボるようになり、時折弾いたときに指が回らなくなるのが恨めしいのと、異議期もあって、いっさいピアノを弾かなくなりました。
ピアノも勝手に職場に引き取ってもらい、十数年、ピアノは無縁に生きてきました。

そうして26年代のある太陽、団体も辞めて、彼女とも別れ、何も無くなったあたいに、ちょっとパパが「またピアノを弾いてみたら?」といった安いキーボードを貰いものしてくれたことがきっかけで、又もやピアノを弾いてみることに。
昔は常にクラシックピアノを学んでいましたが、ついつい紹介していただいた教員がジャズピアノの教員だったので、ジャズピアノを始めることにしました。

嬉しい教員に恵まれたこともあり、どしどしジャズのナショナリズムにのめり込んで行き、習い始めて3年で現時点ができるようになり、音響仲間のジャズサックス奏者って嫁入り。

嫁入り後はダディーといった2人で熱演したりしていましたが、今は第二お子さんをおめでたミドルなので、コンサートはいくぶんお休みしています。

子どもたちにもピアノを習わせたいし、家事ってくらし続けられる嗜好として、あたいにとりましてピアノは将来に欠かせない一品となりました。シリコンシャンプーとノンシリコンシャンプーの歴史